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東京地方裁判所 昭和58年(ワ)7667号 判決 1988年7月26日

原告

林紀明

ほか三名

被告

亡石川市郎承継人石川壽美子

ほか三名

主文

一  被告石川壽美子は、原告林紀明に対し八五〇万円、同林三雄に対し一〇三三万二七二二円、同林八重子に対し一五〇万円、同山田敏子に対し八万〇二五五円及び右各金員に対する昭和五八年八月二日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を、被告石川英逸及び同井上貴子は、各自、原告林紀明に対し四二五万円、同林三雄に対し五一六万六三六一円、同林八重子に対し七五万円、同山田敏子に対し四万〇一二七円及び右各金員に対する昭和五八年八月二日から各支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  被告日動火災海上保険株式会社は、原告林紀明に対し一六二〇万円、同山田敏子に対し一六万〇五一〇円及び右各金員に対する昭和五八年八月二日から各支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

三  被告日動火災海上保険株式会社は、原告林紀明の被告石川壽美子、同石川英逸及び同井上貴子に対する第一項の判決が確定したときは、同原告に対し八〇万円及び右金員に対する右確定の日の翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

四  被告日動火災海上保険株式会社は、原告林三雄の被告石川壽美子、同石川英逸及び同井上貴子に対する第一項の判決が確定したときは、同原告に対し一五六六万五四四五円及び右金員に対する右確定の日の翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

五  被告日動火災海上保険株式会社は、原告林八重子の被告石川壽美子、同石川英逸及び同井上貴子に対する第一項の判決が確定したときは、同原告に対し三〇〇万円及び右金員に対する右確定の日の翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

六  原告らの被告らに対するその余の各請求をいずれも棄却する。

七  訴訟費用のうち、参加によつて生じたものはこれを三分し、その一を被告らの、その余を補助参加人の各負担とし、その余の訴訟費用のうち、原告林紀明、同林三雄及び同林八重子と被告らとの間に生じたものはこれを二分し、その一を被告らの、その余を原告らの各負担とし、原告山田敏子と被告らとの間に生じたものはこれを三分し、その一を被告らの、その余を原告山田敏子の各負担とする。

八  この判決は、一、二項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告石川壽美子(以下「被告壽美子」という。)は、原告林紀明(以下「原告紀明」という。)に対し二四二五万一五四八円、同林三雄(以下「原告三雄」という。)に対し二〇四八万四一七六円、同林八重子(以下「原告八重子」という。)に対し二五〇万円、同山田敏子(以下「原告山田」という。)に対し二五万円及び右各金員に対する昭和五八年八月二日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を、被告石川英逸(以下「被告英逸」という。)及び同井上貴子(以下「被告井上」という。)は、各自、原告紀明に対し一二一二万五七七四円、同三雄に対し一〇二四万二〇八八円、同八重子に対し一二五万円、同山田に対し一二万五〇〇〇円及び右各金員に対する昭和五八年八月二日から各支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  被告日動火災海上保険株式会社(以下「被告会社」という。)は、原告紀明に対し二一二〇万円、同山田に対し五〇万円及び右各金員に対する昭和五八年八月二日から各支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

3  被告会社は、原告紀明、同三雄及び同八重子の被告壽美子、同英逸及び同井上に対する第一項の請求についての本判決が確定したときは、原告紀明に対し二七三〇万三〇九六円、同三雄に対し四〇九六万八三五三円、同八重子に対し五〇〇万円及び右各金員に対する右確定の日の翌日から各支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

4  訴訟費用は被告らの負担とする。

5  1及び2につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

原告紀明及び同山田は、昭和五六年七月二三日午後二時ころ、東京都小金井市貫井北町五丁目二七番八号先横断歩道付近道路上(以下、右道路を「本件道路」といい、右現場を「本件事故現場」という。)において、石川市郎(以下「市郎」という。)運転の普通乗用自動車(多摩五八ほ二八五七、以下「加害車」という。)に衝突されて受傷した(以下「本件事故」という。)。

2  責任原因

(一) 被告壽美子、同英逸及び同井上の責任

市郎は、本件事故当時加害車を所有し、これを自己のために運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条により、加害車の保有者として原告らの後記損害を賠償すべき義務を負つたものであるところ、昭和六二年二月五日死亡し、同人の妻被告壽美子並びに子被告英逸及び同井上が法定相続分(被告壽美子については二分の一、同英逸及び同井上についてはそれぞれ四分の一)に従い市郎の右損害賠償義務を相続した。

(二) 被告会社の責任

(1) 自動車損害賠償責任保険契約の締結

市郎は、昭和五五年九月二〇日被告会社との間で、加害車につき、被害者が傷害を受けた場合の保険金額を傷害による損害については一二〇万円、自動車損害賠償保障法施行令二条別表後遺障害別等級表一級に該当する後遺障害による損害については二〇〇〇万円、保険期間を同月二四日から昭和五七年一〇月二四日までとする自動車損害賠償責任保険契約(以下、「本件自賠責保険契約」という。)を締結した。

したがつて、被告会社は、自賠法一六条一項により、原告らに対し、右保険金額の限度において、損害賠償額を支払うべき義務がある。

(2) 自家用自動車保険契約の締結

市郎は、昭和五五年一〇月一七日被告会社との間で、加害車については、対人賠償保険金額を八〇〇〇万円、保険期間を同月一八日から昭和五六年一〇月一八日までとして、加害車の所有、使用又は管理に起因して他人の生命又は身体を害すること(以下「対人事故」という。)により、市郎が法律上の損害賠償責任を負担することによつて被る損害を被告会社が填補する旨の対人賠償責任条項を含む自家用自動車保険契約(以下「本件自動車保険契約」という。)を自家用自動車保険普通保険約款(以下「PAP」という。)により締結した。

PAP一章六条一項は、対人事故によつて被保険者の負担する法律上の損害賠償責任が発生したときは、損害賠償請求権者は、保険会社が被保険者に対して填補責任を負う限度において、保険会社に対して同条三項所定の損害賠償額の支払を請求することができる旨規定し、同条二項は、保険会社は、被保険者が損害賠償請求権者に対して負担する法律上の損害賠償責任の額について被保険者と損害賠償請求権者との間で判決が確定したとき又は裁判上の和解若しくは調停が成立したときに、損害賠償請求権者に対して損害賠償額を支払う旨規定し、また、同条三項は、同条一項及び二項にいう損害賠償額とは、被保険者が損害賠償請求権者に対して負担する法律上の損害賠償責任の額から自賠責保険等によつて支払われる額及び被保険者が損害賠償請求権者に対して既に支払つた損害賠償金の額の合計額を差し引いた額をいう旨規定している。

したがつて、被告会社は、PAP一章六条一項及び二項により、原告らに対し、原告らの被保険者市郎の相続人被告壽美子、同英逸及び同井上に対する損害賠償請求額が確定したことを条件として、右保険金額の限度において、自賠責保険によつて支払われる額を超える金額について、本件自動車保険契約に基づく損害賠償額を支払うべき義務がある。

3  原告らの傷害及び治療経過

(一) 原告紀明は、本件事故により、頭部外傷、頭蓋骨骨折、頭蓋底骨折、脳挫傷、脳脱出、急性硬膜下血腫、くも膜下血腫等の傷害を負い、昭和五六年七月二三日杏林大学医学部付属病院に入院して緊急開頭手術を受け、左前頭部、頭頂部及び側頭部の減圧、複雑骨折した左側頭骨及び頭頂骨の骨片の除去、頭頂葉及び側頭葉の硬膜下血腫の除去、破裂した上錐体静脈の止血並びに人工硬膜の形成などの各処置を受けた。

しかし、原告紀明は、右手術後、髄膜炎ないし髄膜脳炎を起こし、同年八月六日感染髄膜除去、髄液流出箇所閉鎖、頭頂硬膜形成の手術を受け、更に長期間抗生物質投与により治療を受けた結果、同月中旬ころには右髄膜(脳)炎はほぼ抑えられたが、その過程でくも膜下出血による髄液循環不全、脳挫傷による左孔脳症、脳室拡大及び水頭症を起こし、水頭症の抑制のために同年九月から昭和五七年五月までの間に七回にわたり脊髄腔腹腔短絡手術、同短絡路再建手術、同短絡路閉鎖及び脳室腹腔短絡手術並びに頭蓋形成手術を受けた。

原告紀明は、この間、杏林大学医学部付属病院に入院した昭和五六年七月二三日から同年八月二〇日ころまで人工呼吸器を装着し、同月末ころまで昏睡状態のまま集中治療室で治療を受け、同年九月以降は一般病棟に移され同月半ばには呼び掛けに対する反応が時々見られるようになつたが、その後も長期間意識障害が続き、昭和五七年に入つてからようやく両親を識別できるようになつた。また、本件事故直後から起こしていたてんかんによるけいれん発作を入院中しばしば起こしていた。

その後、原告紀明は昭和五七年六月一〇日まで同病院に入院して治療を継続し(入院三二三日間)、更に同年六月一四日から昭和五八年三月一九日までの二七九日間藤立病院に入院してリハビリを中心に治療を受けたが、水頭症のほか高度の片麻痺とてんかんを残し、右手足が麻痺で使えない、視力が弱くなり片方の目が見えない、口が閉まらないで常時唾液が出ている、口や顔面が歪んでいる、左目の上から側頭部及び頭頂にかけての頭蓋骨が欠損している、目や耳による認識認知能力や手の感覚が鈍麻している、集中力や持続力がなくなりぼんやりしている、人格の変化、しばしば身体の平衡を失つて転倒するなど、精神及び神経の機能の全体にわたつて著しい後遺障害を残して症状が固定した。

今後も、脳挫傷に伴う神経麻痺の治療のために投薬が必要であり、また、身体の成長に合わせて実施される閉塞性水頭症等の手術が予定されている。

原告紀明の右後遺障害は、自動車損害賠償保障法施行令二条別表後遺障害別等級表の後遺障害等級(以下「自賠法障害等級」という。)の一級三号に該当する。

(二) 原告山田は、本件事故により、右肘、手背、下腿及び臀部挫傷の傷害を負い、昭和五六年七月二三日から同年八月六日までの一五日間野村外科医院に通院して治療を受けた。

4  損害

(一) 原告紀明の損害 合計四八五〇万三〇九六円

(1) 入院慰藉料 五〇〇万円

原告紀明の前記受傷及び治療経過に照らすと同原告に対する慰藉料は五〇〇万円を下らない。

(2) 逸失利益 二八五〇万三〇九六円

(ア) 本件事故前の原告紀明の状態

原告紀明は、本件事故時の年齢が七歳五月の男児であり健常児であれば小学校に入学している時期であつたが、自閉症の既往症を有していたため、一年間小学校への就学猶予を受けたうえ、昭和五五年一月から社会福祉法人雲柱社が経営する児童福祉法に基づく精神薄弱児通園施設賀川学園(以下「賀川学園」という。)に通園して治療教育を受けており、昭和五六年四月期以降も就学猶予の一年間延長を受けて賀川学園に通園していた。

同原告は、通常の児童が言葉を話し始める時期になつても言葉が出てこないため、二歳ころ自閉症と診断されたのであるが、自閉症に関しては、精神科医、小児科医などの医学者から児童心理学の研究者に至るまでさまざまな分野の研究者らによつて議論がなされているものの、精神病の一種であるという考え方、情緒障害であるという考え方、認知・認識の障害で何らかの器質的障害を強調する考え方などさまざまな考え方があり、自閉症の定義とその原因については現在のところ定説はなく、また、自閉症と診断された児童一人一人についても障害の現れ方及びその程度は種々さまざまであつて、一括してその症状を定型化することは不可能である。

原告紀明の場合、体力及び運動能力は、健常児の平均よりもむしろ優れており、一歳の誕生日には既に歩行していたし、三歳の後半から家族に伴われて毎月定期的に出かけていた山歩きの際にも、一日に七時間くらい歩ける体力と持続力、疲労に対する回復力を備えていた。遊ぶことも全く自由で、住所地の団地内の遊園地や公園内の遊び場で滑り台、ジヤングルジム、鉄棒、平均台などを自由に操つて遊んでいたし、また、衣服の着脱や食事、洗面等の日常生活はほぼ自分ですることができた。

他方、抱かれることをいやがる、親がいなくても平然としている、一人で何時間も遊んでいるなど他人と情緒的な接触をしようとしないこと、階段を必ず同じ足から踏み出そうとする、嫌いな食べ物は一切受け付けず、好きな食べ物が出てくるまで何時間でも頑として食べない、物を必ず同じ所に置き少しでも違つていると直すなど同一性の保持に対する強いこだわりや執着、ブロツク積みなどの遊びに長時間熱中し、一人でいくつものパターンを工夫し興味を持つたパターンを正確に記憶して再現するなど集中力の持続性、記憶力の精密性、部分的な観察力の緻密性などの自閉症の特徴を示しており、平均人からみた場合これらの特徴から派生して生じる多少の行動の異常がみられた。また、原告紀明は、言葉を発することがなく、自分の意思を通そうとする強い執着があるため、家族が応接に困惑したり、疲労したりすることも多く、このような同原告の症状は社会生活を営むうえで不適応を引き起こすことにつながつた。

しかし、原告紀明は、家族内における原告三雄や同八重子らの話はほとんど理解していたし、父親が会社へ行く日は遊んでもらえないこと、買物の際にお金を出さなければ物がもらえないこと、お金は親が持つていることなど生活に密着する分野においてはある程度理解していたし、形のある具体的な物については、言葉のかわりに視覚、触覚及び聴覚によつて物を識別していた。また、家族は、原告紀明の動作の再現、物を媒介とする表現、喜怒哀楽の表情、同一パターンの再現などの言葉以外の非言語的方法により、同原告とのコミユニケーシヨンをある程度図ることが可能であつた。

原告三雄らは、右のような症状を有する原告紀明の社会的訓練及び治療教育のために昭和五五年一月から同原告を賀川学園に通園させていたが、本件事故が発生した昭和五六年七月までの約一年半の賀川学園の生活を経て、同原告は、他人との間で我慢すること、食べたくなくとも食事の時間には食べること、指導員の指示に従うこと等を覚え、それ以降は自分の意思どおりにならなくとも我慢し、指示に従つて作業する持続性も身につくなど同学園における治療教育の成果は大きく、このままもう一年間同学園における治療を続けるならば、仕事を身につけさせたときの持続性や精神的な力が身につくことは時間の問題であつた。

以上のとおり、原告紀明は、自閉症ではあるが日常生活を普通に送ることができ、また、賀川学園に通園し集団の中で指示に従いながら一定の作業を遂行してゆくことを身につけつつあつたのであり、更に訓練を続けることにより、定型化された作業であれば相当に難しいものであつても比較的容易に遂行できるようになつたであろうことは本件事故直前の教育と同原告の発達の過程から推測しえたから、本件事故がなかつたとすれば、平均余命の範囲内で満一八歳から満六七歳までの四九年間平均的労働者として就労が可能であつたものと推定される。

(イ) 本件事故後の原告紀明の状態

原告紀明は、前記のとおり本件事故により精神及び神経の機能の全体にわたつて著しい障害を残すに至り、今や全くの無能力者となつた。すなわち、

<1> 朝起きて布団から出て立つには、寝たままごろごろと窓の下まで移動し窓を手すりにしなければならないが、右の方法も疲れているときは全くできない。また、一か月に二、三回は朝右手足が曲がつて硬直していることがあり、この時には薬を投与し身体をほぐし介助して起こさなければならず、一人で立つことは全く不可能である。

<2> 洋服の着脱も不自由で、上着は手が通せないため一人で着ることができず、前あきボタン形式のもの以外は脱ぐこともできない。ズボンは椅子に掛けながらも何とか一人で履いたり脱いだりすることができる。

<3> 洗顔、歯磨ぎなどはかがみ込むことができないため介助が必要である。

<4> 食事は、スプーンを使えばたくさんこぼしながらも一人ですることは可能であるが、箸を使うことはできない。口の回りに付いた食べ物や汚れを舌を使つて処理することはできない。

<5> トイレは洋式であれば使用可能であるが、和式を使用することはできない。用便の始末を自分ですることはできず、また、夜は起き上がるのが大変なのでし瓶を使用している。

<6> 平坦な所は歩いて移動できるが、階段などの段差がある所では手すりか介助がなければ移動できない。

<7> 車に乗る際には軸足の支えができずに転ぶことが多い。

<8> 本件事故前には自動販売機を利用して物を買うことができたが、本件事故後はそれもできなくなつた。

<9> 戸外での危険を一人で守ることができない。

このように、症状固定後の原告紀明は、身の回りのことさえ家族の極めて濃密な介護によつてかろうじてできる程度であり、家庭内でも家族の誰かが付き添つていなければ転倒などの危険から身を守ることができない状態である。特に、同原告は、水頭症を抱えたままの状態であるため、髄液の流れが悪く、水がたまつてくると頭部が膨張し左前頭部から側頭部にかけて膨らんでくることがしばしばあり、このような脳圧がかかつた状態になると身体の調子が悪化し、通常できることができなくなることがしばしばあるため、常に脳圧の状態に注意していなければならない。

原告三雄ら家族が原告紀明の状態について注意していることは、家庭内におけるリハビリの継続により、麻痺の程度をこれ以上重くしないように努力し、生活の身の回りのことを工夫しながら自立させることであつて、就労能力の回復には到底至らない状態である。

(ウ) 逸失利益の内容

以上のとおり、原告紀明は、本件事故により自賠法障害等級一級に該当する後遺障害を残すに至り労働能力を一〇〇パーセント喪失した。

そこで、昭和五六年賃金センサス第一巻第一表小学・新中卒・産業計・企業規模計による男子労働者の全年齢平均賃金月額二二万三六〇〇円を基礎とし、ライプニツツ方式に従い年五パーセントの割合で中間利息を控除して原告紀明の逸失利益を算定すると、次の計算式のとおり、二八五〇万三〇九六円(一円未満切捨て)となる。

(計算式)

二二万三六〇〇円×一二×一〇・六二二八=二八五〇万三〇九六円(一円未満切捨て)

(3) 後遺症慰藉料 一五〇〇万円

原告紀明は前記後遺障害により身体の自由を失つたものであり、その精神的苦痛は死亡の場合に比して劣るものではないから、同原告に対する慰藉料は一五〇〇万円を下らない。

(二) 原告三雄の損害 四〇九六万八三五三円

(1) 入院付添費 一六八万六三〇〇円

入院一日につき三三〇〇円、五一一日間分

(2) 藤立病院退院後の入通院雑費及び交通雑費 二一〇万円

原告紀明は前記受傷の結果今後の成長に合わせ成人するまでの間に約七回の手術治療を要するところ、右手術治療のための入通院に要する雑費及び交通雑費は二一〇万円を下らない。

(3) 藤立病院退院後の介護料 二四一八万二〇五三円

原告紀明は本件事故によつて一時も目を離すことのできない常に介護を要する障害児となつたものであるところ、右介護に要する費用を一日三五〇〇円とし、平均余命の範囲内でライプニツツ方式に従い年五パーセントの割合で中間利息を控除して同原告の介護料を算定すると、次の計算式のとおり、二四一八万二〇五三円となる。

(計算式)

三五〇〇円×三六五×一八・九二九二=二四一八万二〇五三円

(4) 家屋改造に伴う増加建築費 五〇〇万円

原告三雄は、本件事故当時昭和五七年春に家屋を新築すべく既にその設計及び確認申請等のすべてを完了していたものであるところ、原告紀明が前記受傷により右片麻痺となつた結果同原告の能力に適合させるため、右新築予定家屋の設計変更を余儀なくされ、階段の高さ・長さの変更、風呂場及びトイレの改造、家屋内の各所における手摺の設置、床暖房システムの採用等を行つたが、右設計変更及びその施工に要した費用は五〇〇万円である。

(5) 慰藉料 五〇〇万円

原告三雄は原告紀明の父親であるところ、原告三雄が今まで描いていた原告紀明の将来の生活設計は本件事故によりすべて水泡に帰したばかりでなく、同原告の新たな生活設計の目途も立たない状態であるから、右のような状況にある原告三雄の精神的苦痛に対する慰藉料は五〇〇万円を下らない。

(6) 弁護士費用 三〇〇万円

原告紀明、原告三雄及び原告八重子(以下右三名をまとめて「原告林三名」という。)は本件訴訟の提起及び遂行を原告林三名訴訟代理人に委任し、原告三雄はその報酬として右代理人に対し三〇〇万円を支払うことを約束した。

(三) 原告八重子の損害(慰藉料) 五〇〇万円

原告八重子は原告紀明の母親であるところ、原告八重子が今まで描いていた原告紀明の将来の生活設計は本件事故によりすべて水泡に帰したばかりでなく、同原告の新たな生活設計の目途も立たない状態であるから、右のような状況にある原告八重子の精神的苦痛に対する慰藉料は五〇〇万円を下らない。

(四) 原告山田の損害 五〇万円

(1) 治療費 二万九三〇〇円

原告山田は、本件事故による前記傷害の治療のため野村外科医院に通院して治療を受け、同病院に対して二万九三〇〇円を支払つた。

(2) 慰藉料 四七万〇七〇〇円

原告山田の前記受傷及び治療経過に照らすと同原告に対する慰藉料は四七万〇七〇〇円を下らない。

5  結論

よつて、原告紀明は、被告壽美子に対し二四二五万一五四八円、同英逸及び同井上に対しそれぞれ一二一二万五七七四円、被告会社に対し二一二〇万円及び右各金員に対する訴状送達の日の翌日以降の日である昭和五八年八月二日から各支払ずみまで民法所定年五分の遅延損害金並びに被告会社に対し被告壽美子、同英逸及び同井上に対する右請求についての本判決が確定することを条件として二七三〇万三〇九六円及びこれに対する右確定の日の翌日から支払ずみまで年五分の遅延損害金の各支払を、原告三雄は、被告壽美子に対し二〇四八万四一七六円、同英逸及び同井上に対しそれぞれ一〇二四万二〇八八円及び右各金員に対する訴状送達の日の翌日以降の日である昭和五八年八月二日から各支払ずみまで年五分の遅延損害金並びに被告会社に対し被告壽美子、同英逸及び同井上に対する右請求についての本判決が確定することを条件として四〇九六万八三五三円及びこれに対する右確定の日の翌日から支払ずみまで年五分の遅延損害金の各支払を、原告八重子は、被告壽美子に対し二五〇万円、同英逸及び同井上に対しそれぞれ一二五万円及び右各金員に対する訴状送達の日の翌日以降の日である昭和五八年八月二日から各支払ずみまで年五分の遅延損害金並びに被告会社に対し被告壽美子、同英逸及び同井上に対する右請求についての本判決が確定することを条件として五〇〇万円及びこれに対する右確定の日の翌日から支払ずみまで年五分の遅延損害金の各支払を、原告山田は、被告壽美子に対し二五万円、同英逸及び同井上に対しそれぞれ一二万五〇〇〇円、被告会社に対し五〇万円及び右各金員に対する訴状送達の日の翌日以降の日である昭和五八年八月二日から各支払ずみまで年五分の遅延損害金の各支払をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否及び主張

1  請求原因1(事故の発生)の事実は認める。

2(一)  同2の(一)(被告壽美子、同英逸及び同井上の責任)の事実のうち、市郎が本件事故当時加害車を所有しこれを自己のために運行の用に供していたこと、市郎が昭和六二年二月五日死亡し、同人の妻である被告壽美子並びに子である被告英逸及び同井上が法定相続したことは認めるが、市郎に自賠法三条による損害賠償責任が生じた旨の主張は争う。

(二)  同2の(二)(被告会社の責任)の事実のうち、市郎が被告会社との間で、原告ら主張の本件自賠責保険契約及び本件自動車保険契約を締結したこと、PAPには原告ら主張の各条項が存在することは認めるが、被告会社に自賠法一六条一項所定の損害賠償額の支払義務並びにPAP一章六条一項及び二項による損害賠償額の支払義務がある旨の主張は争う。

3  同3(原告らの傷害及び治療経過)の事実のうち、原告紀明の本件事故による受傷名及び治療経過については概ね認めるが、右治療期間中の同原告の状態及び後遺障害の内容については否認する。

4  同4(損害)の事実について

(一) (一)(原告紀明の損害)について

(1) (1)(入院慰藉料)の損害額は争う。

(2)(ア) (2)(逸失利益)のうち、原告紀明が、通常の児童が言葉を話し始める時期になつても言葉が出てこないため自閉症と診断されたこと、本件事故時七歳五月の男児であり健常児であれば小学校に入学している時期であつたが、自閉症の既往症を有していたため、一年間小学校への就学猶予を受けたうえ、昭和五五年一月から社会福祉法人雲柱社が経営する児童福祉法に基づく精神薄弱児通園施設賀川学園に通園して治療教育を受けており、昭和五六年四月期以降も就学猶予の一年間延長を受けて賀川学園に通園していたこと、他人と情緒的な接触をしようとしない、同一性の保持に対する強いこだわりや執着があるなどの自閉症の特徴を示していたこと、同原告の家族は、同原告の動作、表情などの非言語的方法に依存して同原告とのコミユニケーシヨンを図つていたこと、自閉症の定義とその原因については現在のところ定説はないことは認めるが、その余の事実は否認ないし不知。逸失利益の損害額は争う。

(イ) 自閉症とは早期の発症と情緒的な対人関係とコミユニケーシヨンの能力が他の能力に比べて著しく障害を受けていることを主徴とする行動レベルでの症候群であり、人に対する反応が全般的に欠如していること、言語の発達における障害があること、周囲のさまざまな状況に対する反応が自然でなく奇異であること及び右のような症状が生後三〇か月以内に発症することの四点がその診断基準とされている。その原因についてまだ決定的なことは判つていないが、最近では中枢神経系の機能障害を基礎に持つ認知及び概念形成の発達障害と考えられるようになつており、治療教育によつて症状がある程度改善されることがあつても完全に治ることはなく、自閉症児のいくつかの症例の追跡調査の結果から五歳ころまでの言語の障害の程度とその発達の状態がその予後に対する重要な指標であることが指摘されている。

ところで、原告紀明は、賀川学園に通園し始めてから約四月が経過した昭和五五年四月ころ(六歳二月当時)には全く言語を発することができない極めて重度の言語障害児であつたものであり、その後同学園における約一年七月にわたる間の治療教育にもかかわらず全くその成果はみられず、本件事故に遭遇した七歳五月当時においても全く言語を消失した極めて重度の言語障害児であつた。また、同原告は、本件事故に遭遇する以前から言語の聞き取り能力、聴覚的な認知及び弁別能力、視覚情報の処理能力、知能指数、精神発達指数などが同年齢の児童と比較して著しく劣つており、極めて重篤な精神発達遅滞の状態にあつた。したがつて、本件事故当時の原告紀明の右のような言語障害及び精神発達遅滞の程度に照らすと、同原告の予後は本件事故に遭遇しなかつたとしても極めて不良であつたものと推認されるのであり、仮に同原告が賀川学園における治療教育を更に一年間継続したとしてもほとんど進歩は望めなかつたものと考えられる。

しかして、自閉症児の処遇状況に関する過去の追跡調査の結果によれば、予後不良の自閉症児の大半は精神病院、自閉症児施設、精神薄弱者施設その他の施設に収容されているか在宅看護を受けており、言葉を話せない自閉症児の中で企業に就職できた者は知り得る限り過去に一つの事例しかなく、しかも右事例の自閉症児を原告紀明と比較すると、言語、知能及び精神発達の程度、社会生活能力などは同原告をはるかに上回つていた。右のように、原告紀明は、社会的なコミユニケーシヨンの手段を全く持たず、またこれを理解する能力もほとんどなく、二、三歳程度の作業能力及び自己統制能力しか持たず、集団に参加してその一員として他者と協調連携した行動をとつたり、自分の身辺周囲で行われている事柄について適切な状況判断をしたりすることができず、危険な物又は場所についての認識がなく、危険を回避したり危険から自分を防御する方法を知らないのであり、今後社会に適応する能力を身につけ、賃金を得て生産活動に参加することができるようになるとは到底考えられないから、同原告には本件事故によつて喪失した逸失利益はないというべきである。

(3) (3)(後遺症慰藉料)の損害額は争う。

(二) (二)(原告三雄の損害)について

(1) (1)(入院付添費)の損害額は争う。

原告紀明に自閉症の既往症がなかつたら、入院期間はもつと短期間ですんだはずであるし、また、原告八重子の付添いを必要とはしなかつた。

(2) (2)(藤立病院退院後の入通院雑費及び交通雑費)の損害額は争う。

被告会社は、昭和五七年九月ころ原告三雄が原告紀明の通院治療に使用するために同年六月四日に購入した自動車の代金一五〇万円を、昭和五八年四月ころ頭部防護用ヘツドギアの代金一万一〇〇〇円をそれぞれ支払つたので、原告ら主張のように多額の交通雑費がかかることはない。

(3) (3)(藤立病院退院後の介護料)の損害額は争う。

原告紀明は、本件事故以前から重度の精神発達遅滞を伴う自閉症の既往症があつたため、監護者が片時も目を離すことができない常時監護を要する状態にあつた。すなわち、

(ア) 原告紀明は、本件事故以前から、危険な物又は場所についての認識能力がなく、危険を回避したり危険から自分を防御する方法を知らなかつた。したがつて、同原告は、本件事故当時(七歳五月当時)、一人で賀川学園に通園することができず常に実母の原告八重子に送迎してもらつていたし、同学園では常時保母による看護保育を受けていた。

(イ) 原告紀明は、昼間は排尿排便を教えたこともあるが、教えないことも多かつたので常に注意して排尿排便を介助しなければならなかつたし、夜間はおむつの使用が必要であつた。また、一人で入浴して体を洗うことができず、家族の介助が必要であつた。

(ウ) 食事はスプーンや箸を使つて一人ですることができたが、たくさんこぼすため後始末が大変であつたし、衣服のボタンは自分ではめることができたが、着脱には手助けが必要であつた。

(エ) 文字や数字が全く読めず、字形の区別もつかなかつたので、硬貨を使つて買物をすることはできなかつた。

以上のとおり、原告紀明に対する介護料は本件事故がなかつたとしても必要であつたものであり、本件事故との間に相当因果関係はない。

(4) (4)(家屋改造に伴う増加建築費)の損害額は争う。

原告三雄主張の各種の設計変更及び施工はいずれも本件事故との間に相当因果関係を認めることはできないし、仮に相当因果関係が認められる部分があるとしても、これによる家屋の改造は一人原告紀明に対してのみではなく原告林三名の家族全体の利益にもなるのであるから、その費用の全額を本件事故と相当因果関係のある損害ということは不当である。

(5) (5)(慰藉料)及び(6)(弁護士費用)の損害額は争う。

(三) (三)(原告八重子の損害(慰藉料))及び(四)(原告山田の損害(治療費及び慰藉料)の損害額は争う。

三  抗弁

1  免責

本件事故は、市郎の運転する加害車が本件道路の中央線左側の車道を毎時約二五キロメートルの速度で直進していたところ、車道左端に車体の一部を歩道に乗せて駐車していた普通乗用自動車の陰からいきなり原告紀明が本件道路上に飛び出し、続いてこれを捕らえようとする原告山田がその後を追つて飛び出し、右両名がもつれ合うようにして加害車の進路直前に駆け込んで来たため、市郎は、同原告らとの衝突を回避するため急制動をかけるとともにハンドルを右に転把したが間に合わず、加害車左前部を同原告らに衝突させたものである。

そして、本件事故は、加害車の進行方向から見て本件横断歩道手前の停止線の更に手前の地点で発生したものであり、右駐車車両によつて本件横断歩道上の見通しは妨げられていなかつたから、加害車の運転者である市郎には本件横断歩道の手前で一時停止すべき義務はなかつた。また、本件事故当時本件横断歩道を横断する歩行者がなかつたことは明らかであり、本件事故は原告紀明及び同山田の本件道路上への飛び出しによつて発生したものであるから、市郎には本件横断歩道の手前で徐行すべき義務もなかつたものである。

したがつて、本件事故は、原告紀明を保護すべき立場にあつた原告山田の一方的な重過失に基因するものであり、市郎には何ら本件事故発生について過失はなく、加害車には構造上の欠陥及び機能の障害はなかつたから、同人は自賠法三条但書によつて免責されるというべきである。

2  過失相殺(原告山田の請求に対して)

仮に被告らの免責の主張が認められないとしても、本件事故が原告山田の重過失に基因して発生したことは右に主張したとおりであるから、同原告の損害額を算定するに当たつては同原告の右過失を十分斟酌すべきである。

3  一部連帯(原告林三名の各請求に対して)

仮に被告らの免責の主張が認められないとしても、本件事故が原告山田の重過失に基因して発生したものであり、本件事故の発生に与つた市郎の過失が僅少にとどまることは右に主張したところから明らかであるから、被告らは、右関与の度合いに限定された範囲でしか原告林三名に対する損害賠償責任を負わないというべきである。

4  弁済

被告会社は、原告紀明に対し、本件自動車保険契約に基づく保険金から、原告紀明の治療費一五九四万五八〇七円、交通費八八万七〇三一円、通院用新車購入費一五〇万円、車椅子購入費六万五〇〇〇円、雑費八二万一〇六八円の合計一九二一万八九〇六円を支払つた。

四  抗弁に対する認否

1  同1(免責)の事実は否認する。

市郎は、加害車を運転して毎時四〇キロメートルの速度で本件事故現場に差し掛かつた際、本件事故現場付近にはスーパーマーケツトが存在し、その買い物客や近隣の学校・保育所などに通学・通園する学生・生徒・園児などの往来があることを熟知しており、しかも進路前方の本件横断歩道の手前に車両が停止しているため右停車車両の陰になつて本件横断歩道付近の歩行者の有無を確認し難いことに気づいたのであるから、本件横断歩道前において一時停止したうえ進路前方の歩行者の有無等を注視すべき義務があつたにもかかわらず、これをいずれも怠つたため原告紀明及び同山田の発見を遅滞したばかりか、同原告らを発見した以上直ちに急制動及びハンドル転把の各措置を採り、同原告らとの衝突を回避すべき義務があるにもかかわらず制動措置もハンドルを転把する措置も採らなかつたものである。

したがつて、本件事故は、市郎の一方的な過失によつて発生したものというべきであり、被告らの免責の主張は失当である。

2  同2(過失相殺)及び同3(一部連帯)の主張は争う。

3  同4(弁済)の事実のうち、原告紀明が被告会社から本件自動車保険契約に基づく保険金から、原告紀明の治療費一五九四万五八〇七円、交通費八八万七〇三一円、通院用新車購入費一五〇万円、車椅子購入費六万五〇〇〇円及び雑費八二万一〇六八円の合計一九二一万八九〇六円の支払を受けたことは認めるが、原告らが本訴においての主張する損害は右支払を受けた費用とは異なるから、被告らの弁済の主張は失当である。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

一  請求原因1(事故の発生)の事実及び同2の(一)(被告壽美子、同英逸及び同井上の責任)の事実のうち、市郎が本件事故当時加害車を所有しこれを自己のために運行の用に供していたこと、市郎が昭和六二年二月五日死亡し、同人の妻被告壽美子並びに子被告英逸及び同井上が法定相続したことはいずれの当事者間においても争いがない。

また、原告らと被告会社との間では、同2の(二)(被告会社の責任)の事実のうち、市郎が被告会社との間で原告ら主張の本件自賠責保険契約を締結したことについて、原告林三名と被告会社との間では、同2の(二)(被告会社の責任)の事実のうち、市郎が被告会社との間で原告林三名主張の本件自動車保険契約を締結したこと及びPAPには原告林三名主張の各条項が存在することについてそれぞれ争いがない。

二  そこでまず被告らの免責の抗弁について判断する。

事故の発生に関する前記認定事実に、原告林三名と被告らとの間においては成立に争いがなく原告山田と被告らとの間においては弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲イ第一号証、原告林三名と被告らとの間においては本件事故現場付近を撮影した写真であることについて争いがなく証人毛木房子の証言により昭和五六年九月ころ武井眞が撮影した写真であることが認められ、原告山田と被告らとの間においては同証言により昭和五六年九月ころ武井眞が本件事故現場付近を撮影した写真であることが認められる甲イ第二六号証の一ないし五、原告山田と被告らとの間においては原本の存在及び成立に争いがなく原告林三名と被告らとの間においては訴訟手続受継前の被告石川市郎本人の供述により原本の存在及び成立の真正がいずれも認められる甲ロ第三号証、原告山田と被告らとの間においては本件事故現場付近を撮影した写真であることについて争いがなく同証言により昭和五八年一〇月七日鎌田勇夫が撮影した写真であることが認められ、原告林三名と被告らとの間においては同証言により昭和五八年一〇月七日鎌田勇夫が本件事故現場付近を撮影した写真であることが認められる甲ロ第四号証の一ないし一二、同証言により真正に成立したものと認められる甲ロ第四号証の一三、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲ロ第五、六号証及び第七号証の一ないし三、いずれの当事者間においても成立に争いがない乙第四号証、証人毛木房子の証言、原告林三雄、同山田敏子及び訴訟手続受継前の被告石川市郎各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると以下の事実が認められ(但し、原告山田敏子及び訴訟手続受継前の被告石川市郎各本人尋問の結果のうち後記採用しない部分を除く。)、右認定に反する原告山田敏子及び訴訟手続受継前の被告石川市郎各本人の各供述部分はいずれもこれを採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  本件道路は、小金井市内を国立方面から三鷹方面に向けてほぼ東西に通ずる都道一三四号線(恋ケ窪新田三鷹線)であつて、本件事故現場付近の車道の幅員は七・〇三メートルでアスフアルト舗装が施され、中央線により上下各一車線ずつに区分されていた。本件事故現場付近は市街地に位置し、周辺に民家、アパート、商店、大学などが点在しているため、人車ともに通行量が多く、車道の両側には幅約三メートルの歩道が車道から一段高く設置されており、道路標識により最高速度四〇キロメートル、駐車禁止の交通規制が行われ、路面は平坦で本件事故当時は乾燥していた。本件事故現場付近の本件道路は直線状で道路上の見通しを妨げる設置物はなく、本件事故現場付近は国立方向へ約一〇〇メートル以上離れた地点からも見通すことができた。

(二)  本件事故現場は、小金井市貫井北町五丁目二七番八号先の本件道路上であつて、本件道路北側にはアパート、スーパーマーケツト、レストランなどが建ち並び、歩道に接して設けられたスーパーマーケツト・クリエート(以下「本件スーパーマーケツト」という。)の二か所の出入口のうち東側の出入口の前の本件道路車道上には白線によつて明示された幅四・三メートルの横断歩道(本件横断歩道)が設置されていたが、本件事故当時は信号機は設置されていなかつた。本件スーパーマーケツトの西側の出入口の前の本件道路北側車線上には本件横断歩道に対する西側の停止位置を示す停止線(以下「本件停止線」という。)が白線によつて引かれており、また、本件スーパーマーケツト西側出入口の更に西側にはタバコ、ジユースなどの自動販売機(以下「本件自動販売機」という。)が歩道に面して数台並び、本件道路を通行する人や車両の運転手等が自由に品物を購入できるようになつていた。

(三)  市郎は、加害車を運転し、本件道路を国立方面から三鷹方面に向けて(西方向から東方向へ向けて)毎時約四〇キロメートルの速度で進行し、本件事故現場付近に差しかかつたが、本件スーパーマーケツトの前の本件停止線のやや西側に本件道路北側車線(以下「加害車進行車線」という。)と本件道路北側歩道(以下「北側歩道」という。)とに跨るようにして車両が停車していたため、右停車車両を避け進路を進行車線の中央線寄りに変えて右停車車両の右側方を速度をやや落としながら進行した際、北側歩道上から本件停止線と右停車車両東端との間の加害車進行車線上にもつれ合うようにして駆け込んで来た原告紀明と同山田を加害車の左前方約四・六メートルの地点で初めて発見して制動措置を採つたが、間に合わず、北側歩道南端から二メートルで本件停止線のわずか西側の加害車進行車線上(以下「本件衝突地点」という。)において加害車の左前部を右原告らに衝突させて転倒させた。

(四)  一方、本件事故当時原告紀明が通園していた賀川学園の保母であつた原告山田及び訴外毛木房子は、園外保育のため原告紀明を連れて同学園を出て本件スーパーマーケツト前まで来たが、訴外毛木が買物をするため原告紀明のそばを離れて本件スーパーマーケツトの店内に入り、原告山田が店外西側に設置されていた本件自動販売機でタバコを購入して同店西側出入口付近で原告紀明の左手首を右手でつかみながら訴外毛木が同店内から出て来るのを待つていた際、原告紀明が突然原告山田の手から自分の手を抜いて北側歩道上から加害車進行車線上に飛び出したため、原告山田は原告紀明の後を追つて加害車進行車線上に走り出て同原告を取り押さえようとしたところ、折から加害車進行車線上を進行してきた加害車に両原告とも衝突されて転倒した。

なお、原告山田敏子本人は、「原告紀明が私の手をすり抜けて北側歩道上から加害車進行車線上に小走りに向かつたとき、とつさに本件道路の国立方向を見て走行車両の有無を確認したが、本件事故現場から一〇〇メートルないし一二〇メートル離れた地点にしかこちらに進行して来る車両はなかつた、私は北側歩道と加害車進行車線との境目付近で原告紀明を捕まえて北側歩道上に引き戻そうとしたが、同原告に引つ張られるような形で一メートルほど加害車進行車線内に移動し、本件停止線と本件横断歩道との間の加害車進行車線上で同原告と共に加害車に衝突された、私が走行車両の有無を確認してから加害車に衝突されるまでの時間は約一〇秒あり、加害車の運転手がハンドルを転把するか制動措置を採るかしてくれれば衝突されることはないと思つた」旨供述する。

しかしながら、前掲乙第四号証によれば、本件事故による衝撃で加害車の左前照灯が破損しそのガラス片が本件衝突地点に落ちていた事実が認められるばかりでなく、証人毛木房子の証言によれば、同証人は本件スーパーマーケツト西側出入口から同店内に約三メートルほど入つたところにあるレジスターの前で原告山田の「紀明」という叫び声を聞いて異変に気づき、直ちに同出入口から北側歩道上に駆け出たところ、既に原告紀明は本件道路上に倒れており、原告山田は左手で右肘を抑えながら立ち上がるところであつたことが認められるところ、原告山田の右叫び声は原告紀明が突然原告山田の手をすり抜けて加害車進行車線上に走り出した時に発せられたものと推認するのが合理的であるから、原告紀明が原告山田の手をすり抜けてから加害車と衝突するまでの時間的な間隔はほとんどなかつたものと推認せざるを得ず、したがつて、原告山田の前記供述は右認定事実に矛盾することが明らかであるから、これを採用することはできないというべきである。

ところで、前記認定事実によれば、車両の運転者としては、前記認定のような状況の本件事故現場付近の本件道路を走行するに当たつては、本件スーパーマーケツトの内外又は本件自動販売機の前の歩道に買物客らが存在することが十分に予想され、しかも加害車進行車線と北側歩道とに跨るようにして停車車両があつたため、右停車車両の側方を通過するまで本件横断歩道北側付近の加害車進行車線及び北側歩道に対する見通しが悪かつたのであるから、本件横断歩道又はその付近の本件道路を横断する人があることを予見して前方注視を厳にし(前掲各証拠によれば、右停車車両の天井を超えて見える人の頭、車輪の間を通して見える人の足あるいは後面、側面及び前面ガラスを通して見える人の姿などに注目していれば、右停車車両の側方を通過してしまう前にある程度本件横断歩道北側付近の加害車進行車線上及び北側歩道上の歩行者の動きを把握することは可能であつたものと認められる。)、ハンドル及びブレーキを確実に操作し、適宜車両の速度を控えめにする等して右横断歩行者との衝突を未然に防止すべき注意義務があるのにこれを怠り、本件横断歩道北側付近の加害車進行車線上及び北側歩道上の歩行者の動きに対する注意が不十分のまま漫然毎時約四〇キロメートルをやや下回る速度で右停車車両の右側方を進行した過失により、加害車進行車線上に駆け込んで来た原告紀明と同山田を発見するのが遅れ、制動措置を採つたものの間に合わず加害車の左前部を右原告らに衝突させたことが明らかというべきであるから、市郎の免責をいう被告らの主張は理由がない。

そして、市郎が本件事故当時加害車を所有しこれを自己のために運行の用に供していたこと、市郎が昭和六二年二月五日死亡し、同人の妻被告壽美子並びに子被告英逸及び同井上が法定相続したことは前記のようにいずれの当事者間においても争いがないところであるから、市郎を法定相続した被告壽美子、同英逸及び同井上は自賠法三条に基づき本件事故により原告らが被つた損害を賠償すべき責任があるというべきである。また、原告らと被告会社との間では市郎が被告会社との間で原告ら主張の本件自賠責保険契約を締結したことについて、原告林三名と被告会社との間では市郎が被告会社との間で原告林三名主張の本件自動車保険契約を締結したこと及びPAPには原告林三名主張の各条項が存在することについてそれぞれ争いがないことは前記のとおりであるから、被告会社は、自賠法一六条一項に基づき原告らに対し保険金額の限度において損害賠償額を支払うべき責任があり、PAP一章六条一項及び二項に基づき原告林三名に対し原告林三名の被告壽美子、同英逸及び同井上に対する損害賠償額が確定したことを条件として保険金額の限度において自賠責保険によつて支払われる額を超える金額について損害賠償額を支払うべき責任がある。

三  進んで原告らの傷害及び治療経過について判断する。

請求原因3(原告らの傷害及び治療経過)の事実のうち、原告紀明の本件事故による受傷名及び治療経過については概ね原告林三名と被告らとの間に争いがなく、右争いのない事実に、原告林三名と被告らとの間において成立に争いのない甲イ第二号証、第二八号証の一ないし三、第二九号証、第三〇号証、第三一号証及び第三二号証の各一、二、第四〇号証の二、原告林三名と被告らとの間において原本の存在・成立ともに争いのない甲イ第三号証、原告山田と被告らとの間において成立に争いのない甲ロ第一号証、いずれの当事者間においても成立に争いのない乙第六ないし一八号証、第二七号証、第二八号証、証人長瀬又男の証言により真正に成立したものと認められる甲イ第四〇号証の一、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲イ第四四号証及び第四七号証、証人長瀬又男の証言、原告林三雄及び同山田敏子各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  原告紀明は、本件事故により、頭部外傷、頭蓋骨骨折、頭蓋底骨折、頭頂葉及び左側頭葉の脳挫傷、脳脱出、帽状腱膜下血腫、急性硬膜下血腫、くも膜下血腫等の傷害を負い、昭和五六年七月二三日杏林大学医学部附属病院に入院し、同日左前頭部、頭頂部及び側頭部の減圧を目的とした開頭、陥没した骨及び硬膜下出血の除去、線状に粉々になつた左側頭ないし頭頂骨の骨片の除去、頭頂葉及び左側頭葉の硬膜下血腫の除去、破裂した上錐体静脈の止血並びに人工硬膜の形成等の手術を受けた。

しかし、右手術後、人工硬膜に細菌感染が認められ髄膜脳炎を起こしたことが疑われたうえ、髄液の漏出が止まらないため、原告紀明は、同年八月六日、感染した人工硬膜の除去及び皮膚を通しての脳脊髄液の漏出箇所の閉鎖を目的として、感染した人工硬膜並びに肉芽、硬膜下及び硬膜外の薄い膿瘍の除去、側頭筋膜及び広筋膜を用いた硬膜形成の手術を受け、更に長期間抗生物質投与等の治療を受けた結果、同月中旬ころには細菌感染はほぼ抑えられた。

ところが、同原告は、その過程で脳挫傷を原因とする左孔脳症並びにくも膜下出血及び髄膜炎による髄液循環不全を原因とする脳室拡大及び閉塞性水頭症を起こし、水頭症による脳水腫の抑制と頭骸形成のために同年九月から昭和五七年五月までの間に六回にわたり脊髄腔腹腔短絡手術(L―Pシヤント)、同短絡路再建手術、同短絡路閉鎖及び脳室腹腔短絡手術(V―Pシヤント)並びに頭蓋形成手術を受けた。

同原告は、この間、事故直後から意識障害が続き、杏林大学医学部付属病院に入院した昭和五六年七月二三日から同年八月一九日ころまで人工呼吸器を装着し、同月中ころまで昏迷ないし傾眠状態のまま集中治療室で治療を受けた。また、本件事故直後から起こしていたてんかんによるけいれん発作をしばしば繰り返した。その後同原告の意識状態は徐々に改善に向かい、自発的に目的を持つた行動をしたり呼び掛けに対する反応が見られるようになり、同年九月以降は一般病棟に移され、昭和五七年に入つてから父親である原告三雄及び母親である同八重子を識別できるようになつた。

その後、原告紀明は、昭和五七年六月一〇日まで同病院に入院して治療を継続し(入院三二三日間)、更に同月一四日から昭和五八年三月一九日までの二七九日間藤立病院に入院してリハビリを中心に治療を受けた後、同年四月から昭和六〇年三月まで肢体不自由児を主体として収容している東京都立江戸川養護学校で一人で立ち上がり歩行するなど運動能力を中心としたリハビリを、同年四月から昭和六二年三月までは情緒障害児を主体として収容している東京都立小岩養護学校に、その後は東京都立白鷺養護学校に通学してリハビリを受け、調子がよいときには一人で立ち上がり一〇〇メートル程度の距離を他人の介助なく歩行することができるようになつたが、水頭症が継続し、同年一月一四日及び同年三月九日にも短絡路再建及び人工頭蓋骨除去の手術を受けて脳室腹腔短絡管が体内に埋め込まれているほか、右半身の強直性不全麻痺のため、右上肢の肩胛関節以上の挙上不能、肘関節の九〇度以上の屈曲不能、腕関節の外転位での硬直、膝関節の四五度以上の屈曲不能、右眼の軟筋移動制限等の運動制限がある(運動機能は脳圧の状態、季節あるいは気温の高低などによつて日々異なり、気温が下がつてくると低下する傾向がある。)ほか、口が歪み閉まらないため常時唾液が出ている、認識認知能力が本件事故以前よりも鈍麻している、集中力や持続力がなくなりぼんやりしている、しばしば身体の平衡を失つて転倒するなど、運動、精神及び神経の機能の全体にわたつて後遺障害を残し、遅くとも昭和六二年一一月までには症状が固定した。

今後も、脳挫傷に伴う神経麻痺の治療のために投薬の継続が必要であり、また、身体の成長に合わせて実施される閉鎖性水頭症等の手術が予定されている。

(二)  原告山田は、本件事故により、右肘、手背、下腿及び臀部挫傷の傷害を負い、昭和五六年七月二三日から同年八月六日までの一五日間野村外科医院に通院して治療を受けた。

四  進んで原告らの損害について判断する。

1  原告紀明の損害 合計一七〇〇万円

(一)  入院慰藉料 二〇〇万円

前記認定の本件事故の態様並びに原告紀明の傷害の程度、入院期間及び治療経過等に照らすと、同原告の受けた傷害による精神的苦痛に対する慰藉料は二〇〇万円とするのが相当と認められる。

(二)  逸失利益 零円

(1) 請求原因4(損害)の(一)(原告紀明の損害)の(2)(逸失利益)の事実のうち、原告紀明が、通常の児童が言葉を話し始める時期になつても言葉が出てこないため自閉症と診断されたこと、本件事故時七歳五か月の男児であり健常児であれば小学校に入学している時期であつたが、自閉症の既往症を有していたため、一年間小学校への就学猶予を受けたうえ、昭和五五年一月から社会福祉法人雲柱社が経営する児童福祉法に基づく精神薄弱児通園施設賀川学園に通園して治療教育を受けており、昭和五六年四月期以降も就学猶予を一年間延長して賀川学園に通園していたこと、他人と情緒的な接触をしようとしない、同一性の保持に対する強いこだわりや執着があるなどの自閉症の特徴を示していたこと、同原告の家族は、同原告の動作、表情などの非言語的方法に依存して同原告とのコミユニケーシヨンを図つていたこと、自閉症の定義とその原因については現在のところ定説のないことは原告林三名と被告らとの間に争いがなく、右争いのない事実に、原告林三名と被告らとの間において成立に争いのない甲イ第四号証の一、二、第八ないし一一号証の各一、二、第五ないし七号証、第一二号証、証人長瀬又男の証言により原告紀明の零歳から一二歳に至るまでの経過を撮影した写真であると認められる甲イ第三九号証、前掲甲イ第四〇号証の一、二、第四四号証、乙第六ないし一八号証、証人長瀬又男及び同毛木房子の各証言、原告林三雄及び同山田敏子各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると(ただし、原告林三雄本人の供述中後記採用しない部分を除く。)以下の事実が認められ、この認定に反する原告林三雄本人の供述部分はこれを採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(ア) 原告紀明は、本件事故時、年齢が七歳五月の男児であり、健常児であれば小学校に入学している時期であつたが、通常の児童が言葉を話し始める時期になつても言葉が出てこないなどの症状を有していたため、江戸川区葛西保健相談所で受けた三歳時検診において自閉症と診断され、一年間小学校への就学猶予を受けたうえ、昭和五五年一月から社会福祉法人雲柱社が経営する児童福祉法に基づく精神薄弱児通園施設賀川学園に通園して治療教育を受けており、昭和五六年四月期以降も就学猶予を一年間延長して賀川学園に通園していた。

(イ) 同原告は、一歳ころから歩き始めたが、一歳六月ころまでは静かで手のかからない子供であつた。笑いが少なく、声を出して笑うこともなく、両親の語りかけにも応じないなど、おとなしすぎてむしろ両親が心配するような状態であつた。一歳六月以降は一転して多動となり自分勝手な行動をとるようになつたが、言葉が全く出ないことから、両親が同原告の異常に気づき、三歳ころから江戸川区教育相談室、葛西児童センター育成室に通所し、五歳一一月ころから賀川学園に通園するようになつた。

賀川学園に通園する前の同原告は、体力的には普通の健常児よりもむしろ優れており、四歳ころから家族に伴われて毎月定期的に出かけていたハイキングの際にも、一日に七時間くらい歩ける体力と持続力、疲労に対する回復力を備えていた。また、住所地の団地内の遊園地や公園内の遊び場で滑り台、ジヤングルジムなどを自由に操つて遊んでいた。しかし、抱かれることをいやがる、親がいなくても平然としている。一人で何時間も遊んでいるなど他人と情緒的な接触をしようとしないこと、階段を必ず同じ足から踏み出そうとする、嫌いな食べ物は一切受け付けず、好きな食べ物が出てくるまで何時間でも頑として食べない、物を必ず同じ所に置き少しでも違つていると直すなど同一性の保持に対する強いこだわりや執着、ブロツクをきれいな形に並べたりジグソーパズルを組み合わせるなどの遊びに長時間熱中し、パズルの絵と一片の形を記憶して再現するなど集中力の持続性、記憶力の精密性、部分的な観察力の緻密性などの特徴を示していた。同原告の家族は、同原告が言葉を発しないため、動作の再現、物を媒介とする表現、喜怒哀楽の表情などの言葉以外の非言語的方法により、同原告とのコミユニケーシヨンをある程度図つていたが、同原告には自分の意思を通そうとする強い執着があるため、家族が応接に困惑したり、疲労したりすることも多かつた。

賀川学園の保母らの観察によれば、昭和五五年一二月(六歳一〇月)当時の同原告は、<1>食事は、こぼしながらもスプーンや箸を使つて自分で食べることができたが、食べ物に好き嫌いがあり、一日の回数は決まつているものの自分勝手な時間に食べた、<2>排泄は、昼間の排尿排便は自分から教えることもあつたが、常に注意していなければならず、夜間はおむつを使用しなければならなかつた、<3>着衣は、ボタンをはめることもできたが手助けが必要であつた、<4>遊びは、コツプなどに水をくんだり、口から水をプツと吹き出しコツプに入れたり、ブロツクを組み立てたり、物をたたくことに熱中したり、手をかざして見るなどすることが多かつた、また、大人から誘われても遊ぶことができず、他人の子供に対しては無視したり避けたりして一緒に遊ぶことがなかつた、<5>対人関係については、大人に対しては肉親を含めて自分の要求に基づいた反応をし、他人の子供との接触は避ける傾向があつた、<6>言語は、無意味な単純な音声を発することはあつたが、言葉は全くなかつた、<7>表現活動については、絵は描こうとせず、字を書こうとすることもなく、字や数字については形の区別をすることができなかつた、<8>特定の行動については自発性が見られ、自分の関心の範囲内のことについては集中性も見られたが、自発的に他人の行動を模倣することはなく、指示によつて模倣させることが可能であつた、<9>計画性については、習慣や経験を組み合わせて活用していたことが指摘されている。

(ウ) 賀川学園において、原告紀明は、保母ら指導員の指示の意味を理解しこれに従つて行動すること、他の子供らと一緒に集団の中で規律に従つた行動をすること、言葉による指示の意味を理解するとともに、言葉を使用する前提として発声の練習をすることなどを中心的な目標として指導を受け、その結果、同原告は、本件事故が発生した昭和五六年七月当時、「止めなさい。」「置いて。(物を置けとの意味)」「帰りなさい。(戻れとの意味)」「おいで。(来いとの意味)」などの指導員の言葉による指示の意味を理解しこれにすぐ従うことが多くなつてきた、課題の学習においても、その内容を周囲の様子から理解し、指導員に指示される前に行動することが多くなつてきた、指導員の膝に乗るなどして甘え、大人への情緒的な接触を求める行動が多くなつてきた、「立つて」「座つて」「ぴよんぴよん」「くるくる」「ぱちぱち」「あたま」「ばいばい」「おなか」など動作を伴う言葉の聞き取りが可能になつてきた、食べたくなくとも食事の時間には食べることなど自分の意思どおりにならなくとも我慢することを覚えてきた等ある程度教育の成果が見られた。

しかし、依然として言葉は全く発声することがなかつたほか、集団の中での行動が不得手であり、気に入らない課題内容については、指導員の指示や注意に対してかんしやくを起こしたり笑い出したりして作業を中断することも多く、集中力が持続せず気持ちにむらが多い等の特徴が見られた。

(エ) 原告紀明は、前記のとおり本件事故により運動、精神及び神経の機能の全体にわたつて後遺障害を残すに至つたが、症状固定後の同原告の日常生活の状況は、<1>寝た状態から立ち上がるためには窓などに手をかけなければならない。また、脳圧の状態が悪化すると右手足が曲がつて硬直してしまい、この時には薬を投与し身体をほぐし介助して起こさなければならず、一人で立つことは全く不可能である。<2>洋服を着たり脱いだりすることも不自由で、上着は手が通せないため一人で着ることができず、前あきボタン形式のもの以外は脱ぐこともできない。ズボンは椅子に掛けながらも何とか一人で履いたり脱いだりすることができる。<3>洗顔、歯磨きなどはかがみ込むことができないため介助が必要である。<4>食事は、スプーン、フナークを使えばたくさんこぼしながらも一人ですることは可能であるが、箸を使うことはできない。口のまわりに付いた食べ物や汚れを舌を使つて処理することはできない。<5>トイレは洋式であれば使用可能であるが、和式を使用することはできない。用便の始末を自分ですることもできない。<6>平坦な所であれば歩いて移動することは可能であるが、階段などの段差がある所では手すりか介助がなければ移動することはできない。特に昭和六二年一月以降は身体の状態が悪化し、単独歩行の際も身体が不安定で転倒による骨折あるいは埋め込んだ短絡管の破損等の危険があるため、介助者が常に足元に注意しながら側についていなければならない。<7>同原告は、水頭症を抱えたままの状態であるため、髄液の流れが悪く、水がたまつてくると頭部が膨張し左前頭部から側頭部にかけて膨らんでくることがしばしばあり、このような脳圧がかかつた状態になると身体の調子が悪化し、通常できることができなくなることがしばしばあるため、常に脳圧の状態に注意していなければならない。原告三雄ら家族が原告紀明の状態について注意していることは、家庭内におけるリハビリの継続により、麻痺の程度をこれ以上重くしないように努力し、生活の身のまわりのことを工夫しながら自立させることであつて、本件事故前の能力の回復にも到底至らない状態である。

同原告の右のような後遺障害の状況は、自賠法障害等級の一級三号に相当する。

(2) ところで、原告林三名と被告らとの間において成立に争いのない甲イ第三三号証、第三四号証、第三五ないし三七号証の各一、二、いずれの当事者間においても成立に争いのない乙第二三ないし二六号証、第二九号証(第二四ないし二六号証については原本の存在・成立とも)、証人長瀬又男の証言により真正に成立したものと認められる甲イ第三九号証、前掲甲イ第四〇号証の一、二、証人長瀬又男の証言を総合すると(ただし、前掲甲イ第四〇号証の一の記載部分及び証人長瀬又男の証言中左記認定に反する部分を除く。)以下の事実が認められ、この認定に反する前掲甲イ第四〇号証の一の記載部分及び証人長瀬又男の証言部分はこれを採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(ア) 広義の自閉症に関しては、さまざまな分野の研究者らによつて議論がなされているものの、精神病の一種であるという考え方、情緒障害であるという考え方、認知・認識の障害で何らかの器質的障害を強調する考え方などさまざまな考え方があり、自閉症の定義とその原因については現在のところ定説はなく、また、自閉症と診断された児童一人一人についても障害の現れ方及びその程度は種々さまざまであつて、一括してその症状を定型化することは不可能である。

しかしながら、近時、カナーが命名した早期幼児自閉症(以下これを単に「自閉症」という。)については、神経学的障害あるいは生物学的障害を基盤とする認知と言語の発達障害が第一次的な障害であり、社会的な引きこもりや行動の異常は二次的に起こつてきたものであるという考え方が支配的となつており、その診断基準としては、一九八〇年に発表されたDSM―Ⅲ(米国精神医学会の精神疾患疾病分類及び診断基準第三版)によれば、<1>遅くても二歳六か月までに症状が出現していること、<2>他者に対する反応性が全般的に欠如していること、<3>言語の発達に著明な欠陥があること、<4>話し言葉が存在する場合には、即時の又は遅延反響言語(おうむ返し)、比喩的言語、代名詞の逆転のような特異な話し言葉のパターンがあること、<5>周囲のさまざまな状況に対する奇異な反応(たとえば、変化への抵抗、生命のある対象あるいは生命のない対象への特異な興味あるいは愛着)がみられること、<6>精神分裂病におけるような妄想、幻覚、連合弛緩、支離滅裂が存在しないことの六項目であるとされている。また、自閉症の研究者によれば、話し言葉がある場合でも文法構成が未熟で抽象語の使用が困難であり、話し言葉の理解も難しいこと、他人と眼差しを合わせたり、社会的な触れ合いや共同遊びをすることが少なく、身振り言語をコミユニケーシヨンに用いる能力も障害されていること、常同行動や同一性保持が目立つこと、視覚、聴覚、触覚等の感覚刺激に対する反応が異常であること、抽象的・象徴的思考や想像遊びの能力に乏しく、知能検査などにおいては、象徴能力や言語能力を必要とする課題に比べ単純な記憶や視覚空間能力を含む課題のほうが良い成績を示すこと等が自閉症児の症状の特徴として指摘されている。

(イ) 現在のところ、自閉症児の認知と言語の発達障害の基盤にある神経学的障害あるいは生物学的障害を根本的に治療することは不可能であるとされており、右障害の存在を前提としたうえで、個々の自閉症児の障害の程度に応じた「オペラント条件づけ」と呼ばれる行動療法等の各種の認知学習を実施することにより、自閉症児の認知障害をある程度改善することが期待されているものの、その効果については今後の検証に待たなければならない段階である。

(ウ) これまでに明らかにされた自閉症の追跡研究又は予後に関する研究結果によれば、自閉症児の転帰の幅は非常に広く、中には良好な予後を示唆する若干の研究結果も存在するが、臨床的研究の蓄積によれば、自閉症児の三分の二ないし四分の三は重度障害の状態にとどまり、生涯を通じて独立した生活はできない者が多いというのが昭和五〇年代後半の時点における自閉症児の長期予後であるといつてよいと指摘されている。ただし、右臨床的研究の対象となつた自閉症児は、自閉性障害に対する認識も不十分であり、幼児保育や学校教育への門戸も閉ざされていた時代の自閉症児であるから、右に述べられている自閉症児の長期予後についても、このような悪条件のもとにおける予後論であることを認識しつつ評価しなければならないとされている。

また、自閉症児の予後に関する臨床的研究の結果によれば、自閉症児の転帰の幅が非常に広いことは先に述べたとおりであるが、その転帰に関連する重要な要因として、<1>五歳ころまでの言語の理解の程度、片言の使用などの言語技能を含む言語発達水準、<2>テストに対する反応、遊びの質、模倣能力などの認知能力を含む知能水準、<3>全体的な異常性の重篤度、<4>学校教育の総量等がその予後に対する重要な指標であると指摘されており、右臨床的研究の結果の一例として挙げられるカナーとアインスバーグの昭和三一年に報告された予後研究によれば、自閉症児六三名の症例について五歳の時の有用言語の有無によつて三二名の有用言語群と三一名の無言語群とに分類して調査したところ、五歳までに有意味言語を持つた子供の半数は進歩したが、五歳までに言語的に意志を伝達する能力のなかつた子供は三一名のうちただ一名のみが著しい進歩を示したにすぎなかつたものとされている。

(3) ところで、原告紀明が本件事故により将来の就労による得べかりし利益を喪失したというためには、同原告が本件事故に遭遇しなければ、有給の労働者として就労しうる精神的・肉体的条件を具有しうるに至つたであろうと認められることを要するものであるところ、前示の自閉症の原因とその治療の可能性に関する研究及び自閉症児の予後に関する臨床的研究の結果に照らし、本件事故前における同原告の生育状況、特に、同原告が自閉症児の特徴とされる症状のほとんどを有し、しかも七歳五月に達していた本件事故当時においても言葉を全く発することができなかつたこと等前示認定の事実に鑑みると、同原告が本件事故に遭遇しなければ、有給の労働者として就労しうる精神的・肉体的条件を具有しうるに至つたであろうと認めることはできないといわざるを得ない。

なお、証人長瀬又男は、同証人が接触経験した別の言語障害児の発達過程との比較から、原告紀明が仮に本件事故により受傷をすることなく年齢を増していつたとすれば、少なくとも単純な作業ならばできるようになつたのではないかと思う旨供述し、更に同証人の作成に係る前掲甲イ第四〇号証の一には、賀川学園における原告紀明の変容の状況からみて、同原告は聴覚認知は劣つているものの視覚認知はむしろ良好であることがその行動から推察できるから、本件事故により受傷をすることなくその後の指導よろしきを得れば、成人するまでに、社会適応を向上させ相当の作業力をつけさせることができるのではないかと考える旨の記載がある。しかしながら、前掲甲イ第三七号証の一及び第三九号証によれば、同証人が同原告との比較事例として取り上げた言語障害児は、三歳六月の時点までには言葉らしい発声が聞かれていなかつたものの、外で遊んでいる同じ年ごろの子供達のところに連れて行くと子供達は相手にしてくれないが構わずについてまわるなど、他者に対する反応性の点で他人の子供に対しては無視したり避けたりして一緒に遊ぶことがなかつた同原告の症状とは明らかに異なつていること、右言語障害児は五歳のころに鬼の顔を絵に描いており、また、小学一年生のころまでには「バー(バナナの意味)」、「ギユー(牛乳の意味)」「シユツシユツ又はポー(汽車の意味)」など具体的な物のシンボルとして音声を使用するに至つていたこと、床に道路を描き横断歩道や信号を添えておもちやの車で遊ぶなど視覚を通した象徴化がかなり発達していたことが認められる(右認定を覆すに足りる証拠はない。)のに対し、同原告の場合には、前掲各証拠を検討しても、本件事故当時までに、具体的な物を絵に描いたり、そのシンボルとして音声あるいはこれに代わる動作を使用したり、ごつこ遊びをするなどの視覚を通した物の象徴化が右言語障害児程度にまで発達していたことを窺わせる行動を見いだすことができないから、右言語障害児との比較及び同原告の視覚認知が良好であつたことを根拠とする同証人の前記証言部分及び前掲甲イ第四〇号証の一の前記記載部分によつては、同原告が本件事故により受傷しなかつたならば単純作業に従事しうるようになつたであろうと認定することはできない。

(4) 以上のとおり、原告紀明の本件事故前後の状態に関する前記認定事実をもつてしては、本件事故により同原告が将来の就労による得べかりし利益を喪失したものと認めるに足りないといわざるを得ない。

(三)  後遺症慰藉料 一五〇〇万円

前記認定の本件事故の態様及び原告紀明の後遺障害の内容・程度、とりわけ同原告は、右半身の強直性不全麻痺のため日常生活の動作に様々な支障があること、閉塞性水頭症ため生涯脳室腹腔短絡管を体内に埋め込んだまま生活しなければならないうえ、右短絡路再建手術を受け続けなければならないこと、前記のように同原告が逸失利益を喪失したものと推認するには困難があることなどの事情を併せ考慮すると、同原告が本件事故によつて被つた後遺障害よる精神的苦痛に対する慰藉料は一五〇〇万円とするのが相当と認められる。

2  原告三雄の損害 一八六六万五四四五円

(一)  入院付添費 一五〇万円

原告紀明が、本件事故による受傷のため、昭和五六年七月二三日から昭和五七年六月一〇日までの三二三日間杏林大学医学部付属病院に入院し、同年六月一四日から昭和五八年三月一九日までの二七九日間藤立病院に入院したこと、本件事故時七歳五月の男児であつたことは前記認定のとおりであり、原告林三名と被告らとの間において原本の存在・成立ともに争いのない甲イ第二五号証、原告林三雄本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、原告紀明の右入院期間中原告八重子がほぼ付ききりで原告紀明の付添いに当たりその費用を原告三雄が負担したことが認められる(右認定を覆すに足りる証拠はない。)ところ、前記認定の本件事故の態様及び同原告の傷害の程度などの諸事情に照らすと、本件事故と相当因果関係がある入院付添費の金額は一五〇万円と認めるのが相当である。

なお、原告紀明に自閉症の既往症があつたために入院期間が遷延し、また、原告八重子の付添いを必要とするに至つたことを認めるに足りる証拠はない。

(二)  藤立病院退院後の入通院雑費及び交通雑費 二二万六六五三円

原告紀明が、前記受傷の結果、現在の身体状態を維持するため、脳挫傷に伴う神経麻痺の治療として継続的に投薬を受ける必要があり、また、今後も身体の成長に合わせて閉塞性水頭症等の手術を受けることが予定されていること、水頭症の治療のため、昭和六二年一月一四日及び同年三月九日に脳室腹腔短絡路再建及び人工頭蓋骨除去の手術を受けたことは前記認定のとおりであり、原告林三名と被告らとの間において成立に争いのない甲イ第四一号証の四、五、原告林三雄本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲イ第四一号証の一ないし三、同号証の六ないし二〇及び原告林三雄本人尋問の結果によれば、同年一月一四日に実施された脳室腹腔短絡路再建手術のための入通院に要した雑費及び交通雑費は合計二六万八七三三円であつたことが認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

しかしながら、将来予定されている閉塞性水頭症等の手術の具体的実施時期については、本件全証拠を検討しても必ずしも明らかではないばかりでなく、将来仮に右手術が実施されたとしても、これに要する入通院期間及び各種雑費の金額は原告紀明のその当時の身体状態や実施された手術の内容によつて著しく異なることが推認されるから、同年一月一四日に実施された右再建手術に要した入通院雑費及び交通雑費の総額から将来予想される手術に要する入通院雑費及び交通雑費の金額を推認することは必ずしも適当でないというべきであり、他に将来予想される手術に要する入通院雑費及び交通雑費の金額を推認させるに足りる証拠はない。

したがつて、藤立病院退院後の入通院雑費及び交通雑費としては、同年一月一四日に実施された右再建手術に要した入通院雑費及び交通雑費の総額のうち二二万六六五三円のみを本件事故と相当因果関係がある損害と認めるのが相当であり(医師及び看護婦に対する謝礼合計四万二〇八〇円については本件事故と相当因果関係があるとは認め難い。)その余の費用については原告三雄及び同八重子に対する慰藉料算定に際して考慮することとする。

(三)  藤立病院退院後の介護料 一二七三万八七九二円

原告紀明が本件事故後その身辺から一時も目を離すことのできない常時介護を要する障害児となつたことは既に認定したとおりである。

ところで、同原告が本件事故当時である七歳五月の段階では自己の起居寝食について必ずしも自立していなかつたこと及び右自立に至る発達の過程が他の平均的な児童よりも遅れていたことは既に認定したところから明らかであり、右事実に既に認定した本件事故前における同原告の生育状況、特に同原告が自閉症の症状を有し七歳五月当時においても言葉を全く発することができなかつたこと並びに自閉症児の治療の可能性とその予後に関する研究の結果に照らすと、同原告が日常生活の諸活動において自立するまでには、同原告の両親である原告三雄及び同八重子の相当長期かつ細部にわたる介護教育が必要であつたものと推認される。

したがって、本件事故と相当因果関係のある原告紀明に対する介護費用は、本件事故後の同原告の前記障害のために原告三雄及び同八重子の原告紀明に対する介護態様が過重され濃密化された部分にとどまるものというべきところ、同原告の本件事故前後の前記行動及び生活状況並びに後記認定のとおり、原告三雄に対しては、被告会社から既に原告紀明に対する介護の物的な補助手段の意味をもつ通院用自動車購入費一五〇万円及び車椅子購入費六万五〇〇〇円が支払われており、しかも同様の意味を持つ家屋改造費も損害として認められるべきことに照らすと、本件事故と相当因果関係のある右介護費用の金額は一日二〇〇〇円と認めるのが相当である。そこで、口頭弁論終結時における原告紀明の平均余命(昭和六一年簡易生命表による。)の範囲内で藤立病院退院後の同原告に対する介護料を認めることとし、ライプニツツ方式に従い年五パーセントの割合で中間利息を控除して同原告の介護料の本件事故時における現価を算出すると、次の計算式のとおり、一二七三万八七九二円となる。

(計算式)

二〇〇〇円×三六五日×(一九・三〇九八-一・八五九四)=一二七三万八七九二円

(四)  家屋改造に伴う増加建築費

原告林三名と被告らとの間において成立に争いのない甲イ第一四号証、第一五号証、第一七号証、第一八号証、第二一号証、第二四号証の一、二、原告林三雄本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲イ第一三号証、第一九号証、第二〇号証、第二二号証の一ないし三、第二三号証の一ないし四、官署作成部分については原告林三名と被告らとの間において成立に争いがなくその余の部分については原告林三雄本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲イ第一六号証、原告林三雄本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められ、右認知を覆すに足りる証拠はない。

(1) 原告三雄は、本件事故前の昭和五四年九月ころ家屋の新築計画を立て、原告紀明が賀川学園を退園する予定であつた昭和五七年春の移転へ向けて本件事故当時既に新築家屋の設計及び確認申請等の作業を完了していたところ、同原告が本件事故により前記認定のような重大な障害を残すに至つたため、同原告に対する介護の完全を期し、しかもできるだけ家族の負担を軽減する目的で右新築家屋の設計を一部変更した。

(2) 右設計変更の内容とそれに伴う費用の増加額は、次のとおりである。

(ア) 原告紀明が支障なく行動することができるようにするとともに同原告に対する家族の者の保護観察の目が行き届き易いようにするため、一階は居間及び食堂を一体とした広い空間とし、また、便所、風呂場、台所などの隔ても極力なくし、玄関及び居間の上部を吹抜けとし、二階の主要室には吹抜けに向けて開口部を設けた。

右設計変更の結果、家屋全体の構造的欠陥が生じ易くなるため、安全面の確保及び仕上げ面の増加のために家屋の建築費用は増加することになるが、その具体的な金額は前掲各証拠を検討しても明らかではない。

(イ) 原告紀明の車椅子の移動に支障を起こさないようにするため、一階の床を断熱構造のコンクリート床とする等の基礎工事を改め(増加額三五万五二五〇円)、右床の仕上げはクツシヨンフロアとした(増加額一〇万一一〇〇円)うえ、出入口の沓摺をなくし、玄関等の段差を最低の約五センチメートルとした(増加額不明)。また、同原告の壁の伝い歩きの際の手触りや汚れを考慮し、壁面の仕上げはビニルクロス張りを採用した(増加額四〇万三三〇〇円)。

(ウ) 階段は、通常の住宅の階段より幅を一〇センチメートル広げて一メートルとし、原告紀明が伝い歩きもできるように手摺を設け、勾配が四五度以下になるように踏面見付を二二センチメートル、蹴上を二〇・七センチメートルとし、踏板は奥行き方向に対し六ミリメートルの勾配をつけて滑り止めとし、中間には休憩のための踊り場をつけた(増加額三万一三六〇円)。

便所は同原告が一人でも用を足す習慣が身につくようにストール型の小便器を設置し、大便器は用便後の後始末を容易にするため、暖房便座付自動洗浄式便器とし、室内仕上げは掃除がしやすいようにタイル張りとした(増加額二四万八四八〇円)。このような設備を設置するために、便所の床面積が通常の二倍程度必要になつた。

風呂場は、同原告の身体の麻痺による冷えを治すには入浴が極めて有効であることから、一日数回の入浴があることも考慮し、電気温水器による給湯型を導入した(増加額一三万円)が、ランニングコストを考えて太陽熱温水との併用とした(増加額一五万円)。また、浴槽も、同原告が冷えを感じることなく肌触りの良いことを考慮し、大型プラスチツクを採用した(増加額五万一二〇〇円)。

(エ) 居間及び食堂の暖房は、原告紀明にとつて危険性がなくしかも室温のむらをなくして身体の麻痺による冷えを防止するため、床暖房システムを採用した(増加額三九万九二〇〇円)。また、原告三雄らの雨戸の開け閉めによる労働を軽減するため雨戸はいつさい使用せず、雨戸に代わる断熱と遮音のために外周のガラスを全て五ミリメートル以上とし、吹抜けの上部には原告紀明が一人で空を眺められるように天窓を設置した(増加額四万九六六〇円)。

(オ) 家屋の吹抜けの構造的弱点を補強し地震や火災などに対する抵抗性を持たせるため、柱や筋かいを通常より余分に使用した。また、類焼を避けるため、外部、室内の壁及び天井に不燃構造を採用した(増加額不明)。

二階は避難を容易にするため、各室にバルコニーを設置した(増加額八万二一〇〇円)。

(3) 原告三雄は、右のように変更された新築家屋の設計書に基づき、建築会社等に右家屋の建築を請け負わせ、その代金として合計一五六九万九二〇〇円を右建築会社等に支払つた。

ところで、既に認定した原告紀明の本件事故後の障害及び日常生活の状況に照らすと、右に認定した設計変更部分のうち、床を断熱構造のコンクリート床とし、仕上げをクツシヨンフロアとしたこと、出入口の沓摺をなくし玄関等の段差を最低の約五センチメートルとしたこと、階段の幅を広げて手摺を設け、勾配を緩くして滑り止めをし中間に踊り場をつけたこと、便所にストール型の小便器と暖房便座付自動洗浄式大便器を設置し、室内仕上げをタイル張りとしたこと、風呂場に電気温水器を設置し、浴槽を大型プラスチツクにしたことについては本件事故と相当因果関係があるものと認められるが、その余の部分については相当因果関係があるものとは認め難いから、本件事故と相当因果関係のある新築家屋の設計変更に伴う費用の増加額は九一万七三九〇円となる(出入口の沓摺をなくし玄関等の段差を最低の約五センチメートルとしたことによつて建築費用が増加したことを認めるに足りる証拠はない。)。

他方、前掲各証拠によれば、原告三雄は、原設計に基づく新築家屋の確認申請等の手続を代行した設計事務所に対し、原設計・代願費として一〇万円を支払つたこと、原告紀明の障害の態様に応じた原設計の調査及び改訂を担当した設計事務所に対し、改訂調査・設計費として一二〇万円を支払つたことが認められる(右認定を覆すに足りる証拠はない。)ところ、右改訂調査・設計には前記認定の本件事故と相当因果関係のある新築家屋の設計変更部分が含まれているのであるから、右原設計・代願費及び改訂調査・設計費の合計額一三〇万円のうち相当部分については本件事故と相当因果関係がある損害というべきである。

したがつて、右改訂調査・設計の全体に占める本件事故と相当因果関係のある新築家屋の設計変更部分の割合等に照らし、本件事故と相当因果関係のある新築家屋の設計変更に伴う費用の増加額九一万七三九〇円に本件事故と相当因果関係のある右原設計・代願費及び改訂調査・設計費の部分を加算し、合計一二〇万円をもつて原告三雄の損害と認めるのが相当である。

なお、被告らは、仮に本件事故と相当因果関係のある家屋改造に伴う増加建築費が認められるとしても、右家屋の改造が一人原告紀明に対してばかりでなく原告三雄ら家族全体の利益となることを考慮してその金額を減額すべきである旨主張するが、右家屋の改造が、原告紀明が本件事故によつて被つた障害を克服して日常生活をおくるうえで必要やむを得ないものと認められる限り、たとえ原告三雄ら原告紀明の家族に付随的に利益をもたらすものであつたとしても、これを理由として右増加建築費の金額を減額するのは相当ではなく、右家屋の改造が原告三雄らの原告紀明に対する介護の物的な補助手段の意味を持つことに鑑み、右増加建築費の内容及び金額を原告三雄の介護費用を算定するに際して適当に斟酌すれば足りるというべきである。

(五)  慰藉料 三〇〇万円

原告三雄が原告紀明の父親であることは既に認定したとおりであり、前記認定の本件事故後の原告紀明の障害の状況に照らすと、原告三雄は本件事故により原告紀明が生命を害された場合に比して著しく劣らない程度の精神上の苦痛を受けたものと認められるところ、前記のとおり原告紀明が現在の身体状態を維持するため継続的に投薬や閉塞性水頭症等の手術を受ける必要があることから、原告三雄としては、生涯原告紀明の右投薬や手術のための各種の費用を負担し、同原告に対するリハビリを行つてわずかでもその日常生活を自立させるよう努力し続けなければならないこと等の事情を斟酌すると、原告三雄の右精神的苦痛に対する慰藉料は三〇〇万円とするのが相当である。

3  原告八重子の損害(慰藉料) 三〇〇万円

原告八重子が原告紀明の母親であることは既に認定したとおりであり、前記認定の本件事故後の原告紀明の障害の状況に照らすと、原告八重子は本件事故により原告紀明が生命を害された場合に比して著しく劣らない程度の精神上の苦痛を受けたものと認められるところ、前記のとおり原告紀明が現在の身体状態を維持するため継続的に閉塞性水頭症等の手術を受ける必要があることから、原告八重子としては、生涯原告紀明の右手術に付き添い、同原告に対するリハビリを行つてわずかでもその日常生活を自立させるよう努力し続けなければならないこと等の事情を斟酌すると、原告八重子の右精神的苦痛に対する慰藉料は三〇〇万円とするのが相当である。

4  弁護士費用 二〇〇万円

弁論の全趣旨によれば、原告林三名は本件訴訟の提起及び遂行を原告林三名訴訟代理人に委任し、原告三雄はその報酬として右代理人に対し相当額の支払を約束したことが認められる(右認定を覆すに足りる証拠はない。)ところ、本件訴訟の難易、審理経過及び認容額等の事情に照らすと、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用の額は二〇〇万円と認めるのが相当である。

5  原告山田の損害 合計一六万〇五一〇円

(一)  治療費 二万九三〇〇円

原告山田と被告らとの間において成立に争いのない甲ロ第二号証、前掲甲ロ第一号証及び原告山田敏子本人尋問の結果によれば、原告山田は、本件事故による前記認定の傷害の治療のため野村外科医院に通院して治療を受け、同病院に対して治療費として二万九三〇〇円を支払つたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(二)  慰藉料 二〇万円

原告山田の前記認定の受傷及び治療経過に照らすと、同原告の精神的苦痛に対する慰藉料は二〇万円とするのが相当である。

(三)  過失相殺

前記認定の本件事故の態様に照らすと、本件事故の発生には原告山田が不用意に本件道路の加害車進行車線上に走り出たことも与つて力があつたものと認められるから、同原告の右過失を斟酌して同原告の本件事故による損害額の合計二二万九三〇〇円から三割を減額するのが相当であり、したがつて、同原告の本件事故による残損害額は一六万〇五一〇円となる。

五  被告らのその他の主張について

前記認定の本件事故の態様及び原告山田に対する過失相殺の判断において既に述べたとおり、本件事故の発生原因に関しては、市郎の前記過失も相当程度の割合を占めるものであるから、同人の過失が僅少であることを前提とする被告らの一部連帯の主張はその前提を欠き、その余の点を判断するまでもなく理由がない。

また、原告紀明が被告会社から本件自動車保険契約に基づく保険金として、同原告の治療費一五九四万五八〇七円、交通費八八万七〇三一円、通院用新車購入費一五〇万円、車椅子購入費六万五〇〇〇円及び雑費八二万一〇六八円の合計一九二一万八九〇六円の支払を受けたことは原告林三名と被告らとの間に争いがないところ、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第三〇号証によれば、同原告が既に支払を受けた右費用は原告らが本訴において請求する損害とはその内容が異なるものと認められる(右認定を覆すに足りる証拠はない。)から、被告らの弁済の主張は理由がない。

六  被告らに対する請求可能額について

以上のとおり、本件事故による原告らの残損害額は、それぞれ、原告紀明について一七〇〇万円、原告三雄について二〇六六万五四四五円、原告八重子について三〇〇万円、原告山田について一六万〇五一〇円となるところ、昭和六二年二月五日市郎の妻である被告壽美子並びに右両名の子である被告英逸及び同井上が市郎を法定相続分に応じて相続したことは前記認定のとおりであるから、原告らの右被告らに対する請求可能額は、それぞれ、原告紀明が、被告壽美子に対し八五〇万円、同英逸及び同井上に対しそれぞれ四二五万円、原告三雄が、被告壽美子に対し一〇三三万二七二二円(一円未満切捨て)、同英逸及び同井上に対しそれぞれ五一六万六三六一円、原告八重子が、被告壽美子に対し一五〇万円、同英逸及び同井上に対しそれぞれ七五万円、原告山田が、被告壽美子に対し八万〇二五五円、同英逸及び同井上に対しそれぞれ四万〇一二七円(一円未満切捨て)となる。

ところで本件自賠責保険契約においては、被害者が傷害を受けた場合の保険金額が傷害による損害については一二〇万円、自賠法障害等級一級に該当する後遺障害による損害については二〇〇〇万円となつていたこと及び原告紀明が被告会社から支払を受けた一九二一万八九〇六円は本件自動車保険契約に基づく保険金であつて本件自賠責保険契約基づく保険金ではないことは前記認定のとおりであるところ、原告紀明の残損害額一七〇〇万円の内容が入院慰藉料二〇〇万円及び後遺症慰藉料一五〇〇万円であることは既に認定したとおりであるから、傷害による損害については本件自賠責保険契約における保険金額の上限である一二〇万円を超えることになり、結局同原告の本件自賠責保険契約の相手方としての被告会社に対する請求可能額は、保険金額の範囲内である後遺症慰藉料一五〇〇万円に保険金額の限度で入院慰藉料一二〇万円を加算した一六二〇万円となり、入院慰藉料の残額八〇万円は、本件自動車保険契約の相手方としての被告会社に対して請求すべきものとなる。

また、本件自動車保険契約に基づき損害賠償請求権者が保険会社に対して支払を請求することができる損害賠償額は、被保険者が損害賠償請求権者に対して負担する法律上の損害賠償責任の額から自賠責保険等によつて支払われる額を差し引いた額をいうことは前記認定のとおりであるところ、右に述べたところから明らかなように、本件自賠責保険契約における自賠法障害等級一級に該当する後遺障害保険金二〇〇〇万円のうち原告紀明の後遺症慰藉料一五〇〇万円を控除した五〇〇万円については、本件自賠責保険契約によつて支払われる額が残存していることになるから、結局原告三雄が本件自動車保険契約に基づき被告会社に対し支払を請求できる損害賠償額は、同原告の残損害額二〇六六万五四四五円から本件自賠責保険契約によつて支払われる額五〇〇万円を控除した一五六六万五四四五円ということになる(なお、原告三雄及び同八重子が本件自賠責保険契約に基づく保険金の支払を被告会社に対して請求していないことは、本件訴訟における右原告らの請求の趣旨及び請求原因の記載から明らかである。)。

七  以上のとおりであるから、原告らの本訴請求は、(一)原告紀明が、被告壽美子に対し八五〇万円、同英逸及び同井上に対しそれぞれ四二五万円、被告会社に対し一六二〇万円及び右各金員に対する訴状送達の日の翌日以降の日である昭和五八年八月二日から各支払ずみまで民法所定年五分の遅延損害金並びに被告会社に対し被告壽美子、同英逸及び同井上に対する右請求についての本判決が確定することを条件として八〇万円及びこれに対する右確定の日の翌日から支払ずみまで年五分の遅延損害金の各支払を、(二)原告三雄が、被告壽美子に対し一〇三三万二七二二円、同英逸及び同井上に対しそれぞれ五一六万六三六一円及び右各金員に対する訴状送達の日の翌日以降の日である昭和五八年八月二日から各支払ずみまで年五分の遅延損害金並びに被告会社に対し被告壽美子、同英逸及び同井上に対する右請求についての本判決が確定することを条件として一五六六万五四四五円及びこれに対する右確定の日の翌日から支払ずみまで年五分の遅延損害金の各支払を、(三)原告八重子が、被告壽美子に対し一五〇万円、同英逸及び同井上に対しそれぞれ七五万円及び右各金員に対する訴状送達の日の翌日以降の日である昭和五八年八月二日から各支払ずみまで年五分の遅延損害金並びに被告会社に対し、被告壽美子、同英逸及び同井上に対する右請求についての本判決が確定することを条件として三〇〇万円及びこれに対する右確定の日の翌日から支払ずみまで年五分の遅延損害金の各支払を、(四)原告山田が、被告壽美子に対し八万〇二五五円、同英逸及び同井上に対しそれぞれ四万〇一二七円、被告会社に対し一六万〇五一〇円及び右各金員に対する訴状送達の日の翌日以降の日である昭和五八年八月二日から各支払ずみまで年五分の遅延損害金の各支払をそれぞれ求める限度で理由があるから、いずれもこれを認容し、被告らに対するその余の請求は理由がないのでいずれもこれを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条、九四条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 柴田保幸 藤村啓 潮見直之)

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